「私仕立屋の息子です」
こんにちはホームアドバイザーの川田です。
私の実家の職業は婦人服の仕立屋です。
「私仕立屋の息子なんです」
私が子供のころの昭和三十年代は、女性は洋服を注文で作っていた方がかなりおりました。
私の家は小さな仕立屋で、いくらかの洋服地が自宅に置いてあり、お客様が選んで作るのと
気に入った服地をお客様が求めて、持参した物を作る、二通りだったと記憶してます。
最初は体のサイズを測り(採寸)、それから各パートに分けて裁断し
それをしつけ糸を使い、仮縫いをします。
仮縫いが出来ると、お客様に来ていただき、それを着ていただき、本縫いの前の点検をし
本人にぴったりと合うように、手直しをします。
躾という言葉は、本縫いの前にしつけ糸で、仮縫いをして整える姿が
世の中に出る前に、色々な事を教育し、一人前にしてから送り出す様に似ているので
そのしつけ糸から来ていると、親から聞かされました。
朝早くから夜遅くまで夜なべして、手作業で進める仕事は傍で見ていて、
子供ながらに大変な作業だと思いました。
そんな大変な仕事でも、お客様から「良い服だ」とほめられたり、
他の人から「ピッタリで素敵だ」と言われたと、お客様から報告されると
親父やおふくろが、うれしそうな顔をしていた事を思い出します。
世界で一つしかない服を作っている、そんな自負があったのだと思います。
今「森の家」の仕事に従事して、昔の親父やおふくろの仕事ぶりが思い起こされます。
お客様と設計者が、何度も何度も真剣に相談を重ねる姿や、
良い機能を出すために、見えないところの細かい作業をチェックする監督を見て
手間暇のかかる、手作りの家を感じます。
本来良い物は、家も服も大量に作れるものではないと思います。
一人ひとりのサイズに合った服も、住む人と相談しながら作っていく家も。
吊るしの服や企画住宅は、大事に手入れをしたくなる気持になるでしょうか?
大量に作られている物が、「あなただけにお似合い」の宣伝は無理があると思います。
良い物を手入れして長く使う。そんな良い時代がまた来ている気がしてなりません。