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  • 2011年3月18日(金)

一週間が経ち

こんにちは、設計の小林です。
地震発生からもう少しでちょうど一週間が経とうとしています。

私は当時、東京ビッグサイトにて、
木材、建材、照明器具などの
一斉展示会の視察に来ていた最中でした。

—–

ある時ふと、目の前のプレゼン用のモニタが
小刻みに震えているのに気付きました。
そのときは「よくある小地震かな」と思いました。
その数分後、急に大きく揺れだして
大きな地震だと気付き、慌てました。

商品搬入時に開閉するシャッターがバシャバシャと
音を立てて波うち、その音に一層恐怖感を煽られました。

避難出口は人が殺到し、会場は大パニックです。
私はとりあえず揺れが治まるまで
近くの柱を背にし、天井からの落下物に備えました。

10メートルほど離れたところでしょうか、
天井から白い板が落ちてきました。
その場では幸い怪我人はいなかったようですが、
それを見た周りの人も慌てて外に避難しました。

地震が治まったときに、震源地もどこか分からない
状態でしたので、家族のことが気になりました。
ですが電話を掛けれど繋がらずの状態でした。

アナウンスで、今日のイベントの中止が知らされ、
会場内は立ち入り禁止となりました。
家族や会社の安否も分からないままでしたので
とにかく帰らないとと思い、最寄り駅まで歩きました。

駅には沢山の人が詰め掛けていましたが、
すぐそばの駅周辺で火事もあり、
電車は全て運転見合わせとのこと。
このままでは寒いので、どこかで待つことにしました。
ビッグサイトの共有部分は出入りできたので、
再度引き返しましたが、人が殺到していて
どうすることもできません。

仕方なく、ビッグサイトの一角で
電車が動き出す放送を待ちました。
その間、携帯電話のワンセグ放送で
震源地の情報などを知りました。

電車が動きそうだという放送も数度あり、
何度かビッグサイトと駅を往復しましたが
一向に動く気配はありません。

—–

しばらくして、電車は終日運休と放送が入りました。

そのうち、妻から携帯電話会社の災害伝言板を通じて
家族は無事だということが分かり、一安心しました。

とりあえず家族の無事が分かったので、
今日は帰るのは諦めようとホテルなどを探しましたが
既にいっぱいでした。

放送で、ビッグサイトの共有部分は
24時間開放してくれるとのことで
ここに留まることを決めました。

一人で不安でしたので、
大和屋の社員がここに来ていないかと
連絡も取ろうと思いましたが、
電話が全く通じない状態でしたので
その術はありませんでした。
(後日、建材部の社員3人も
その場にいたということでした。)

—–

ビッグサイトにはコンビニがあります。
何日留まるか分からないし、
とりあえず夕食を買おうと思い行ってみると
長蛇の列ができています。
余震の恐れがあるため、店内に15人しか
入れないとのことでした。

順番を待っている間に、川田部長から
電話がありました。
やっと知っている人と話ができたと思い、
その時は胸にこみ上げてくるものもありました。

さらに待つこと約30分、
ペットボトルの水を2本とお弁当を
買うことができました。

—–

夜になり、寒くなってきました。

携帯電話のバッテリーが心配でしたので
ワンセグは見ることを諦め、
音楽プレーヤーのラジオを聞き
少しの情報を得ました。

周りに人はいましたが、
知人はいなく、不慣れな土地で余震も続く中
独りで夜を過ごすことはとても不安でした。
そしてとにかく寒くて仕方ありませんでした。
マフラーを足に巻いたり、
梱包用のエアキャップを敷いたりして
何とか暖を取り、一夜を越しました。

たまたま、電車の中で読もうと思っていた
断熱関係の本を読みながら過ごしたり、
少し眠ろうと横になったりしましたが、
余震も続いていたことや、
当時のパニック状態が頭から離れず
結局一睡もできませんでした。


—–

明朝、館内放送で朝7時からりんかい線が
運行予定との放送がありました。
行き先は反対方向でしたが、
地下鉄を乗り継げばどうにか都心へ出られそうでしたので
早々にビッグサイトを後にしました。

スタートが良かったのか
運良く1番列車に乗ることができ、
有楽町まで電車で移動することができましたが
山手線も京浜東北線も運転は見合わせているとのこと。
私が乗りたい高崎線はなんとか動いているとの
噂を聞いていまして、
どうにかして上野まで行きたいと思いました。
ここまできたら、とにかく帰りたいの一心でした。

そこで、天気も悪くないので
上野までは徒歩で向かうことにしました。
周りには、やはり歩いている人も多かったので
もう勢いで歩くしかありません。
5キロほどの道のりを歩きましたが
ぜんぜん疲れませんでした。

—–

上野駅に着きましたが、
駅はアメ横の交差点まで人で埋め尽くされていました。
数千人が入場制限の掛かった駅に入るために
並んでいました。

何とか駅構内まで入ることができ、
10:30頃、高崎線に乗ることができました。

帰りの車中はたまっていた疲れが一気に出たのか
それと、やっと家に帰れる安堵からか
眠ってしまったようで
ほとんど覚えていません。

12:40、無事家について家族の顔を見て、すごく安心しました。

—–

一週間経つ今でも、正直私は平常心には戻っていません。
社内においても、当時どこにいたかで
今回のことに対する気持ちの温度差はあります。

ここ数日でも、被災地でない地域での買いだめや、
不謹慎な発言にも、非常に憤りを感じます。

こういう時だからこそ、人が人を思いやり
利他的に物事を考えるときだと思っています。

現実として今の私には、節電や節水、
募金くらいしかできることはありません。
ですが、日本人一人一人が被災地の方々のために
一緒になって頑張っていく、
元気な日本を取り戻すことに
みんなで取り組んでいきたいと思っています。

—–

最後にビッグサイトで見た朝陽です。
明けない夜はありません。

今回帰宅困難者となった私ですが、
被災地の方々が経験していることは
精神的にも肉体的にも比べ物にならないと思います。

救出、復旧作業は続いていますが、
まだまだ安否が分からない方も多いです。

現状安否が分からない人が
どうか全員無事でいますように
心から祈っています。
いち早い救助と復旧を強く強く願っています。

長文、失礼いたしました。

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