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  • 2010年6月18日(金)

「私仕立屋の息子です」

こんにちはホームアドバイザーの川田です。

私の実家の職業は婦人服の仕立屋です。

「私仕立屋の息子なんです」

 

私が子供のころの昭和三十年代は、女性は洋服を注文で作っていた方がかなりおりました。

私の家は小さな仕立屋で、いくらかの洋服地が自宅に置いてあり、お客様が選んで作るのと

気に入った服地をお客様が求めて、持参した物を作る、二通りだったと記憶してます。

 

最初は体のサイズを測り(採寸)、それから各パートに分けて裁断し

それをしつけ糸を使い、仮縫いをします。

仮縫いが出来ると、お客様に来ていただき、それを着ていただき、本縫いの前の点検をし

本人にぴったりと合うように、手直しをします。

 

躾という言葉は、本縫いの前にしつけ糸で、仮縫いをして整える姿が

世の中に出る前に、色々な事を教育し、一人前にしてから送り出す様に似ているので

そのしつけ糸から来ていると、親から聞かされました。

 

朝早くから夜遅くまで夜なべして、手作業で進める仕事は傍で見ていて、

子供ながらに大変な作業だと思いました。

そんな大変な仕事でも、お客様から「良い服だ」とほめられたり、

他の人から「ピッタリで素敵だ」と言われたと、お客様から報告されると

親父やおふくろが、うれしそうな顔をしていた事を思い出します。

世界で一つしかない服を作っている、そんな自負があったのだと思います。

 

今「森の家」の仕事に従事して、昔の親父やおふくろの仕事ぶりが思い起こされます。

お客様と設計者が、何度も何度も真剣に相談を重ねる姿や、

良い機能を出すために、見えないところの細かい作業をチェックする監督を見て

手間暇のかかる、手作りの家を感じます。

 

本来良い物は、家も服も大量に作れるものではないと思います。

一人ひとりのサイズに合った服も、住む人と相談しながら作っていく家も。

 

吊るしの服や企画住宅は、大事に手入れをしたくなる気持になるでしょうか?

大量に作られている物が、「あなただけにお似合い」の宣伝は無理があると思います。

 

良い物を手入れして長く使う。そんな良い時代がまた来ている気がしてなりません。

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